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【追悼】【ボヘミアン】の葛城ユキさんが死去。若い頃から病気までまとめました。

芸能

「ボヘミアン」、「ハートブレイカー」などの曲で知られる葛城ユキ(かつらぎ ゆき)さんが6月27日に都内の病院で原発性腹膜がんで亡くなられました。享年73歳。

皆さんは、葛城ユキさんを知っていますか?

今回は亡くなられた一報をニュースで聞いて改めてどの様な方か調べてみました。

若い世代の方は、知らない人や名前は聞いた事が有る人もいるでしょう。

葛城ユキさんは1970年代から活躍している有名な女性ロックシンガーです。

彼女の代表曲の「ボヘミアン」は、カバー曲でありながら代表曲でした

筆者
筆者

昔は、葛城ユキさんの曲で青春時代に何度も勇気をもらったのを思い出し、今聞いても昔と変わらず素晴らしい曲と歌唱力ですね。

この記事では葛城ユキさんについて

  • 若い頃の活躍
  • 音楽活動と受賞経歴
  • その他の活躍等
  • 晩年

こちらに書いていこうとおもいます。

筆者
筆者

これを読んで葛城ユキさんを思い出したり、名前を知らない方は興味を持ってもらえると嬉しいです。

【ボヘミアン】葛城ユキさんの若い頃

葛城ユキさんは岡山県川上郡川上町の出身です。

川上町は、合併をして現在は、高梁市になっています。

その縁もありのちに、岡山県のPRソングを歌っています。PRソングは「もんげー岡山!」

本名は、田中小夜子

田中小夜子の名前で日本コロムビアでもシングルででていました。

出身高校は、片山女子高等学校、

こちらは現在は倉敷翠松高等学校に校名が変わっていました。

高校時代はバレーボール部でアタッカーとして活躍をし、国体にも出場経験が有ります。当時はキャプテンもしていました。

その後は実業団(倉敷紡績)に声が掛かり入社をするも、実業団の選手内では、低身長(167cm)の為、アタッカーからセッターへ転向を言い渡されるも

“セッターへの転向を言い渡された。私はアタッカー。中心にいないと嫌だった”

との理由で退社をして音楽をやりたいという元々の夢も有ったので家出同然で大阪に移住をする。

そこで音楽スクールに通い始めたそうです。

筆者
筆者

退社の理由がすごくわかります。 かなり芯の強いかたに思えます。

歌手活動「ボヘミアン」との出会い

「ボヘミアン」で一躍有名になった葛城ユキさん、デビュー当初は名前も違いました。

彼女の経歴を少しご紹介します。

朝霧まち時代(ヤマハポピュラーソングコンテストにて歌唱賞を受賞)

第6回ヤマハポピュラーソングコンテストに出場をして歌唱賞を受賞しました。

この時の受賞曲は「小さな出発」です。

筆者
筆者

この時には、素晴らしい歌唱力を持っていたのが伺わせてます。

葛城ゆき時代(ヤマハポピュラーソングコンテストにて最優秀賞を受賞)

・翌年には第7回ヤマハポピュラーソングコンテストにて最優秀賞を受賞しています。

この時の受賞曲は「木曾は山の中」です。

筆者
筆者

2年連続で賞を取るのは、本当に素晴らしいですね。

第5回世界歌謡祭にも出場しています。この時は川上賞に入賞しました。

こちらの入賞曲は「木曾は山の中」で同じ歌になります。

葛城ユキ時代(「ボヘミアン」、「ヒーロー」など代表曲と巡り合う)

ここからが皆さんが知っている曲が出てきています。

・1980年「哀しみオーシャン」がヒットしました。

・1983年「ボヘミアン」が大ヒットして皆さんも知っている通り本人の代表曲となる。

・1984年「ヒーローHOLDING OUT FOR A HERO」がヒットしました。ヒット曲で思い浮かべるのが、TBSドラマ「スクール☆ウォーズ」ですが、こちらは、麻倉未稀さんのバージョンです。この曲は今も時々流れますので聞いた事はあると思います。

・翌年の1985年「ハートブレイカー」もヒット曲で本当ノリの良い曲でした。

音楽以外では、

・1983年:青森のコンサート先で腹痛を訴えが発端となり、結婚してる事が判明しました。

・1986年:中国広東省珠海市「珍珠楽園」で日本人ロックシンガーとして初のコンサートを開催。

・1988年:映画「花のあすか組」にてミチコ役で出演。

・2003年テレビ局にて「とんねるずのみなさんのおかげでした」番組収録中に「人間大砲」のゲームでウレタンが敷き詰められたプールに頭から突っ込むように落下した際、骨折の重傷を負い背中にチタン支柱を埋め込む大手術を受けたが、翌年に驚異的に回復し、復帰ライブを開催

・復帰ライブの2週間後に初めての自作曲「pride~for you」をシングルで発売。

・2014年:出身地である岡山県のPRソング「もんげー岡山!」で担当は歌唱で、こちらの曲は葛城ユキさんの良さが出ている良い曲でした。

・2018年:楽天ジャパンオープンテニスの決勝戦(錦織佳選手の決勝戦)にて国家斉唱も行いました。

晩年(夢グループ主催の「夢コンサートと腹膜がんの発表)

夢グループが主催をしている「夢スター歌謡祭」に出演をしたいました。

2021年4月に原発性腹膜がんのステージ4で有ることを人間ドックの受診結果で宣告されました。

この後も葛城ユキさんの強い要望で夢コンサートに昼の部で出演し、これが公の場での最後の歌唱となりました。

その後、皆さんもご存じの通り腹膜がんの為に都内の病院で死去しました。

【ボヘミアン】まとめ

今回の葛城ユキさんをまとめてみると、

高校時代から、国体出場のキャプテンを務める、

自分の夢をあきらめずに音楽スクールに通って歌手になった事、

ケガをしても驚異的な回復力で復帰してライブを行った事、

晩年までファンの前で歌う事をされました事、

筆者
筆者

葛城ユキさんは本当に素晴らしい方だったと思い、今も葛城さん曲で勇気や元気をもらっている方も多いと思います。

葛城ユキさんのご冥福をお祈りいたします。